自殺未遂を経て。
独りで居る時間が長い。
だからなのか、頭の中はいつも考え事だらけ。
一人暮らし先に毎日居た頃は、ほぼ毎日彼と一緒だった。
もはや「一人暮らし」なんて言えない、二人暮し状態。
自殺未遂を切っ掛けに、実家と一人暮らし先の行き来をするようになってもうじき3ヶ月。
実家にはペットが沢山居るけれど、
起きてから眠るまで殆どの時間、人間は私一人。
両親が居たら居たで、変に気を遣われたり逆に気を遣ったりで大変だけれど、
やっぱり、寂しいと想ってしまう。
彼は4月から新しい生活が始まって、大忙し。
私は私で新しい事を始める準備期間に差し掛かっている。
「離れて居ても大丈夫」
心からそう言い切れるようになりたい。
一人で頑張れるように、生きる力を付けていかなくちゃ。
未遂前は、一人で居る事が好きだった。
人間関係のごちゃごちゃはもう懲り懲りだった。
けれど、本当に一人になりかけてから、気付いた。
人は一人では生きていけない。
少なくとも、私には絶対に無理。
本当に独りになってしまう恐怖を、死の淵を歩いて初めて垣間見た。
そこは真っ暗で、地獄と言うに相応しかった。
とても、孤独だった。
今まで、近くに居てくれた人は沢山だったのに、
気付けなかった。
常に独りだと想い込んでいた。
「私が死んでも泣く人なんて居ない」
そう想っていた。
「私」という存在は無意味だと想っていた。
価値が解らなかった。
大切だと言われても、意味が解らなかった。
総てを投げ出して薬を飲んでしまうのは、想っていた以上に楽だった。
人生を終りにしようとする瞬間だけは、寂しくなかったような気がする。
外面だけを気にして、
人からの評判に合わせて動いていた「私」は何だったのだろう。
誰かに嫌われてしまう事が怖くて、「私」を見せて生きるのが怖かった。
人当たりの良い人を演じ、
嫌な事があっても笑顔でかわしていた。
そんな私は、「良い人」だったのかもしれない。
けれど、
もう、「悪い人」「嫌な奴」と想われても構わない。
敵を作ってしまっても、自分らしく生きていけるに越した事は無いから。
勿論、誰かに迷惑を掛けるような生き方はしたくない。
誰かの為になるような生き方をしていきたい。
救って貰った命、無駄には出来ない。
私はどんな人間だろう。
今までの作っていた「私」は、偽者のような気がするよ。
本質は何処にあるのだろう?
いつの日か、その答えがおぼろげにでも掴めたら。